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Your search : [ author:写真 胡宝玉] Total 3400 Search Results,Processed in 0.182 second(s)
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1. 羊崇拝の山岳民族―チャン族
チャン(羌)族の村は、四川省の茂汶チャン族自治県に集中している。省都の成都からバスで五時間ほど。九頂山のふもとに開けるのが自治県の県都·茂汶。一帯は緑したたる深山と急流が流れ下る峡谷とが織りなす山村の風景。岷江の本·支流は四季をとわず豊かな水量に恵まれている。九頂山の山頂には夏でも雪が。チャン族の祖先は、紀元前四世紀末から十三世紀にかけての長い期間に、中国の西北部、今の甘粛省のあたりから、数次にわ
Author: 写真 胡宝玉 Year 1990 Issue 6 PDF HTML
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2. まぼろしの楼蘭
三日間捜し歩いて土垠(どぎん)を発見できなかったので、楼蘭に漢ののろし台を見に行くことにした。ロプノール西岸に沿う孔雀河の河床を南に向かう古道は、砂丘と溝の連続、そこに枯れた葦が倒れていて進路をふさぐ。場所によってはスコップで砂を掘るのだが、そうなると三十分かかっても車は五十メートルしか進めない。楼蘭まで十数キロの所で日が暮れてきたので、露営する。翌早朝、測量隊長の劉さんをキャップに徒歩で出発。ヤ
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 1 PDF HTML
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3. 嘉峪関と魏晋の古墓群
嘉峪(かよく)関は祁連山脈と黒山が接する谷間にあり、万里の長城の最西端に位置する関所としてよく知られている。古くからシルクロードの要地だった所で、明の洪武五年(一三七二)に大将軍馮勝がここに城関を築いた。その後、長城が造られて城関と接続、西の要塞として機能が整った。万里の長城にある城関の中でもっともよく保存されていて、内城、外城、瓮城、羅城と堀を備えている。われわれはヘリに乗って、城関から討頼河ま
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 2 PDF HTML
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4. 黒水国の古城遺跡
黒水国の遺跡は、以前テレビで空撮シーンを見て以来、ずっと行ってみたいと思っていた。こんど張掖(ちょうえき)に来て、この古城の場所を聞くことができ、さっそく出かけた。張掖の市街地から間もなく砂漠にはいって道を失い、いったん公路にもどったが、折よく出会った地元の農場長が熱心な人で、現場まで同行してくれた。黒水国の古城遺跡は南北が一五キロ、東西が一〇キロ。前漢以前に匈奴(きょうど)族がここに移住して小月
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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5. 賀蘭山の石刻岩絵
われわれは西夏王の陵墓を見たあと、道を北にとった。車は賀蘭山山麓の川ぞいの谷をガタガタと進む。この一帯は数年前の出水で道路がほとんど破壊されていた。散乱する石の上を、道を確かめながらそろそろと走っていく。三十分余でどうにか登山口についた。賀蘭山は険しい山だ。山道に踏みこむと、高低とりどりの崖が両側をふさいでいる。でこぼこ道に足をとられながら西に向かううちに少しずつ開けてきて、卵ほどの石がごろごろし
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 4 PDF HTML
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6. 白い古都―統万城
涼しいうちにと、夜が明ける前にわれわれは靖辺県城を出発した。砂漠の奥深くにある大夏国の古都が今回の目標である。紀元四世紀から五世紀にかけて、漢族の統一王朝、晋は日ましに勢いを失い、中国は「五胡十六国」といわれる大分裂時代にはいった。このころ匈奴民族の王赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)は自慢の鉄騎兵を率いて、大夏国を建国した。その領域は今の陝西省の秦嶺から北、内蒙古の黄河沿い地帯、山西省太原、臨汾の西南
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 5 PDF HTML
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7. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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8. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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9. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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10. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML